2013年7月16日火曜日

「消費者ニーズは高度化・多様化している」のウソ

http://bizgate.nikkei.co.jp/article/4104216.html

トライバルメディアハウス 池田紀行氏


「もうテレビの時代は終わった」「これから全てのマーケティングはデジタルシフトする」「消費者ニーズは高度化・多様化を極めている」「ソーシャルメディア時代には従来のマーケティング手法は通用しなくなる」――。雑誌やWebメディアの見出しは、こんなあおり文句であふれている。
 確かに、ソーシャルメディアの出現と爆発的普及によって、いままでのマーケティングは大きな変革を迫られている。どんなにお化粧をしてきれいに着飾っても、ソーシャルメディアの中では「ありのままの自分(すっぴん姿の商品や企業)」がさらされてしまう。TwitterやFacebook、mixiやLINEなどのコミュニケーションツールによって消費者は横につながり、企業のマーケティングに(過度に)踊らされない術を手に入れた。これは、人がメディアを持ったのではない。人がメディアになったのだ。1億人総メディア時代の幕開けである。
 しかし、である。私たち消費者は、そんなに大きく変わったのだろうか。利用するデバイスや、1日に消費する情報量は飛躍的に増えたが、相変わらず私たちの脳みそは1つだし、1日は24時間だ。コンビニに並んでいる商品の数も、「ダイエット」や「恋愛」など雑誌で特集されるテーマも10年前とほとんど変わっていない。
 つまり、世の中には「変わるもの」と「変わらないもの」の2つがあるのだ。価値観やライフスタイル、デバイスやメディアなどは時代とともにどんどん変わっていく。だから、マーケティングも時代の変化に合わせてフィットさせていかなければならない。
 一方で、変わらないものがある。それは、この地球上には人間しかいないということだ。街も道路も橋も商品もサービスも情報も、それを考え、つくり、消費するのは、昔も今もこれからも、ずっと「血が通い、感情を持った生身の人間」なのである。
 本コラムでは、「ソーシャルメディア」 「スマートフォン戦略」 「ビッグデータ活用」といった、いわゆるバズワードを解説するようなことはしない。逆に、世のマーケティングで「当たり前のこと」として語られていることへの問題提起や、多くの消費者が「無意識に」行っていることの背景とマーケティングへの実践的なヒントなどを示していきたいと思っている。

マーケティングの教科書が語る"常識"は本当か?

 前置きが長くなったが、本題に入ろう。コラムの第1回では、消費者ニーズにまつわる"常識"を疑ってみたい。
 マーケティングの教科書を開くと、必ずと言っていいほど、「現代の消費者ニーズは高度化・多様化を極めている」というフレーズが出てくる。そして、「ニーズが高度化・多様化した消費者を動かすためには、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングが大切である」と続く。

確かに、消費者ニーズは高度化・多様化している。そんじょそこらの商品では買ってくれないし、10年、20年前に比べれば興味関心や価値観も多種多様になった。
 しかし、全ての消費者の、全てのニーズが、常に高度化・多様化を極めているわけではない。街に出れば、流行りの髪型や流行りのファッションに身を包む女性たちが歩いているし、パンケーキが注目を集めると原宿や表参道の専門店には待ち時間30分~1時間の行列ができる。テレビ朝日の「お願い!ランキング」で紹介された商品は放送直後から飛ぶように売れるし、昨年開業した東京スカイツリーには入場制限をするほどの客が押し寄せた。
 本当に消費者ニーズが高度化・多様化を極めているのであれば、これらの現象を説明することができない。多様化しているなら、街から行列が消えるだろうし、特定の商品が飛ぶように売れるなんてことにもならないはずだ。
 では、一体なにが起こっているのだろう。

意思を持たないマス「浮動層」というカタマリ

 世の中には、オンライン、オフラインを問わず、共通の興味関心を持ったコミュニティーがたくさんある(ここで言うコミュニティーとは場所だけを指すものではなく、類似した興味関心を持つ人たち、グループも含む)。
 例えば、ハーレーダビッドソンをこよなく愛する人たち、三度の飯よりゴルフが好きな人たち、オーガニック食品にこだわる人たち、アロマにこだわる人たち、ミッドセンチュリーの家具が好きな人たちなどだ。これら共通の興味関心を持つグループを「トライブ(Tribe)」と呼ぶ。トライブに入っている人は、その対象について強い関心を持っている。
 以前は時間的・距離的な制約のため、同じ興味関心を持った人たち同士でつながることは難しかったが、いまではTwitterやSNS(mixiやFacebook)の普及、オンラインコミュニティーなどによってトライブが形成されやすくなった。
 しかし、実は大きなマスボリュームを形成しているのはトライブではない。私は、街に行列をつくったり、テレビで紹介された商品を急いで買いに行ったりする消費者のことを、意思なきマス「浮動層」と呼んでいる。話題のパンケーキを食べるために、30分の行列に並んでいる人たちの多くは、もともとパンケーキのトライブに入っていた、もしくはあるキッカケでパンケーキのトライブに入った人たちではなく、何かの刺激によって「一時的に」パンケーキに関心を持ったに過ぎない。少し時間が経てば、パンケーキのことは忘れて、また次の何かを食べるために違うお店に並んでいることだろう。

浮動層はある刺激によって一気に消費者として顕在化する

 意思なきマス「浮動層」は、もともとその商品やサービスに強い興味関心を持っていたわけではない。しかし、ある刺激によって一気に消費者として顕在化し、マスボリュームのマーケットを形成する。ただし、それは「ファッド」と呼ばれる極めて短期的なものだ。
以前、人気番組の「発掘!あるある大事典」で「納豆がダイエットに効く」という特集が放送されたとき、全国のスーパーから納豆が消える"事件"が起きた。結局、この特集は後にねつ造であったことが発覚し、番組は打ち切りになってしまったが、この「消費者ニーズが高度化・多様化を極めている」現代において、全国のスーパーから納豆が消えて無くなってしまうのだ。
 現在においても、テレビ朝日の「お願い!ランキング」、同局の「シルシルミシルさんデー」、テレビ東京の「出没!アド街ック天国」などで商品やお店が紹介されると一気に商品が動き、店に客が殺到する現象は続いている。これは、テレビ番組という刺激によって、浮動層が一気に消費者として顕在化するからである。

動くのは「人のカタマリ」ではなく「関心のカタマリ」

 ここで注意したいのは、浮動層は「人のカタマリ」ではなく「関心のカタマリ」であるということだ。あなたにも、「興味があること」と「興味がないこと」があるはずだ。また、現在は興味がなかったことでも、もしかしたら明日興味を持つかもしれない。そのため、浮動層を動かしたいと思った場合、そのペルソナ(想定する顧客像)を詳細に描きすぎると裏目に出てしまう場合がある。
 「人」ではなく「社会や時代の空気」を読み、「どうすれば浮動層が動くか」という大きなソーシャルインサイト(世の中の空気やその時代の消費者の行動や思考)を読み解くことが重要だ。

これからは社会的メガヒットと局所的ブームの2極化が進む

 少しだけ未来の世の中を予測してみよう。
 特定の興味関心を持った人たち(トライブ)は、TwitterやFacebook、mixiやLINE、その他のテーマ特化型オンラインコミュニティー(クチコミサイト)などで横につながり、どんどん結束を強めていくだろう。そこは特定の興味関心を持った人たちだけが集まる閉じられた空間だ。この中では非常に濃度の高いコミュニケーションが行われ、局所的なムーブメントがつくられていく。2013年4月に開催された「ニコニコ超会議2」などはその典型だろう。ニコニコ動画のファンが集うこのイベントには、前年の9万2000人を上回る10万人超が来場、会場からの公式生放送を視聴したネット総来場者数は509万人と、大盛況となった。
 しかし、人の体は1つしかない。同様に、処理できる情報量や、こだわれる興味関心のテーマにも限りがある。アテンション(注意)やインタレスト(興味)は無限ではなく有限なのだ。だから、必然的に消費者の中には「強い興味関心を持ついくつかのトライブに属する自分」と、その他の「あまりこだわりが無い浮動層としての自分」の2つの顔を持つことになる。
 こだわりが無い浮動層は、その商品やサービスそのものを買いたいわけではなく、脊椎反射的に、あるいは「話題になっているからとりあえず」という「ネタ消費」(友人や知人の間で話題になりそうなネタをTwitterやFacebookに意識的に投稿して面白がること)を楽しむ傾向がある。みんなが買っている(行っている/食べている/体験している)という「安心感」や、「乗り遅れたくない」という心理がさらにその流れを後押しし、いつしか日経MJヒット商品番付に選ばれるような社会的メガヒットが生まれる。

これらが、「局所的なブーム」と「社会的メガヒット」が同居する、ちょっとおかしな市場をつくり出す理由だ。どんなに情報が爆発しようと、様々な新しいデバイスが普及しようと、人間は人間である。相変わらず脳みそは1つだし、1日は24時間しかない。「消費者ニーズは高度化・多様化を極めている」は、半分本当で、半分はウソなのだ。
 テレビで紹介されていたお店に行きたくなる自分と、ネットで検索して徹底的に比較検討した後に購入を決める自分。「高度化・多様化している」という一言では決して説明できない、矛盾だらけの消費者としての自分を忘れないことが、不透明なマーケットを読み解く一番の近道だろう。

浮動層を動かした「婚活」

 いまや、いろいろなところでお目にかかる「○活」というフレーズ。これは、『「婚活」時代』(山田昌弘、白川桃子著)という本が「婚活」を提唱したことをきっかけに広がった社会記号である(「婚活」という言葉の初出は2007年11月5日号のAERA)。「婚活」はあっという間に大ブームとなり、その後、派生語として「恋活」「妊活」「朝活」「友活」「母活」「終活」、最近では「便活」なんて言葉(活動)にまで広がっている。関連ビジネスも盛んだ。
 この「婚活」は、なぜ浮動層を動かしたのか。それは、この言葉が生まれる前から、世の中にその「兆し」があったからだ。07~08年といえば、第二次ベビーブーム(団塊ジュニア)世代が35歳を迎えた頃である。日本社会では女性の高学歴化と社会進出、ライフスタイルの多様化などによって、晩婚化や非婚化が進み、生涯未婚率が急上昇する兆しを見せていた。
 しかし、皆が皆、「結婚をしない」「結婚をしたくない」と思っていたわけではない。「結婚はしたいけど、出会いの機会がない」「結婚相談所に登録するほど必死だと思われたくない」といった気持ちが強かったのではないか。
 そこに「婚活」という言葉が現れた。合コンやゴルコン(ゴルフコンパ)、街コン(街ぐるみで行われる大型の合コンイベント)といった直接的な出会いの場だけでなく、貯蓄や料理教室なども「婚活」という社会記号としてひとくくりにされたことで、「恥ずかしい」「後ろめたい」という社会的イメージが一気に払拭され、若い女性でも「いま婚活中で~す♪」と気軽に公言できるようになった。
 このように、浮動層を動かす大きな影響力を生むためには、世の中に広がる「兆し」を発見し、PR活動などによって「社会記号化」「既成事実化」させることがポイントとなろう。

池田 紀行 (いけだ のりゆき)
トライバルメディアハウス代表取締役社長。1973年横浜市生まれ。ビジネスコンサルティングファーム、マーケティングコンサルタント、ネットマーケティング会社クチコミマーケティング研究所所長、バイラルマーケティング専業会社代表を経て現職。キリンビール、P&G、トヨタ自動車などのソーシャルメディアマーケティングを支援する。『Facebookマーケティング戦略』『ソーシャルインフルエンス』『キズナのマーケティング』など著書多数。Twitter:@ikedanoriyuki、Facebook:http://www.facebook.com/ikedanoriyuki

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