2013年7月31日水曜日

ツイッターで「予測」できた参院選の選挙結果 選挙結果は、実感に近かったですか?

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130722/251349/?P=4

参議院選の結果が、自分の「実感」に近いものになった人は、読者の中にどれほどいるだろうか。
 ツイッターを使っている私の実感は、いつも現実とかなりずれる。去年の衆議院選挙のとき、私のツイッターのタイムラインは「選挙に行こう!」「そうだそうだ!」という声と、「憲法改正は避けるべきだろうし、自民の大勝は怖い」という声であふれていた。しかし、蓋を開けてみれば、投票率は過去最低、結果は(小選挙区という仕組みがあるとはいえ)自民党の圧勝となった。
 今日は、ツイッターやフェイスブックといったSNS(交流サイト)を見ながら考えたこの「実感と現実のズレ」と、その可視化について書いてみたい。

山本太郎氏と鈴木寛氏の東京選挙区

 今回の参議院選挙において個人的に最も象徴的だったのが、東京選挙区での候補であった山本太郎氏と鈴木寛氏だった。
 実は、私のツイッターやフェイスブックから見える風景は、圧倒的な鈴木寛氏支持だった。私がフォローしている人々の多くは、「これまでに必要な法律を通すのに尽力してきた」、「誰も知らないところで最も必要とされている仕組みづくりに尽力してきた」として鈴木寛氏を支持していた。ブログを書いたり、ツイッターやメディアを通じて支持を表明したりとしながら、かなり強烈にサポートしているように見えた。
 一方で、山本太郎氏に対してのコメントは冷ややかなもので、「放射能に関する発言には誤解していることが多い」、「大衆扇動をしているだけではないか」と手厳しかった。
 しかし、結果は逆。山本太郎氏が当選し、鈴木寛氏は落選した。私のタイムラインは、この結果について「絶望した」、「日本は終わった」と嘆くコメントであふれていた。 
 以前なら、大手メディアの世論調査ぐらいでしか知ることのできなかった「民意」が、今ならSNSで直接、個人の投稿を通じて見えるようになった。だから、SNSの意見を通じて、大手メディアよりも社会全体がよく見えるに違いない。そんな思いもあったが、現実にはそんなことはなく、むしろ逆だったのだ。
 今回の選挙結果は、日本にある「階層」を改めて可視化させてくれたように思える。

ここでいう階層とは、フランスの社会学者であるピエール・ブルデューが、20世紀の古典ともいえる著作“Distinction”において定義したものだ。彼のいう階層というのは、学歴、所得、生まれ、仕事内容、社会的地位などで構成される社会集団のことで、マルクスが言っていたような単純化された階級とは異なる。
 ブルデューが豊富なデータとともに示したのは、こういった要素で区分けされた階層間では、音楽のジャンルや、よく買い物にいく店などの「好み」が明確に異なることだった。
 こういった定義の階層はもちろん日本にも以前から存在している。そしてSNSを使うことによって、自らが所属している階層以外の意見が以前にも増して見えにくくなっている、というのは多くの人々が指摘するところである。
 なぜSNSが私たちの所属する階層を明らかにするかというと、ツイッターでフォローしたり、フェイスブックでつながったりしているのは、学校の同級生だったり、故郷が同じだったり、仕事を一緒にしていたりする人が多いからだ。SNSでは、知らぬ間に自分たちと同じ階層の人だけに囲まれ、相対的に均一化された友人・知人の「好み」を日々、目にすることになる。さらに、フェイスブックなどでは、ユーザーがそこに居心地の良さを感じられるよう、自分にとって心地良いものが画面に表示されやすいようにプログラムが組まれているという。

選挙に見えた「好み」の違い

 私がこの選挙で一番強く感じたのは、有権者が特定の候補者に投票する際の「決定要素の違い」にあった。
 少し前に、ある政治家が言っていたことを思い出す。
 「選挙に強い政治家は、政策や何かよりも、『私たちと一緒に泣き、怒ってくれる』と思われる人だよ。日本の選挙は今も情で動いている。だから、冠婚葬祭に常に顔を出すような政治家が強い」
 だが、その人が言っていた「選挙に強い政治家」は、私のタイムラインを見る限りでは、どうも支持を多く集めているようには見えなかった。というのも、私のタイムライン上で発言する有権者は、その候補者が何を言っているか、何をやってきたかで投票先を選ぶような人が多かったからだ。
 そしてもし、そういう政治家の取ってきた行動を見ながら投票するような合理的な人が社会におけるサイレントマジョリティだとすれば、鈴木寛氏がこの期間続けてきたインターネット上での討論は、まさにベストな選挙運動である。鈴木氏がネット上で様々な論客と展開してきた公開討論は、筆者が見る限り、かなりの盛り上がりを見せたように思う。
 
 しかし、実際の選挙で鈴木寛氏が落選したことからも分かるように、大多数の人は、候補者の言っていることやしてきたことではなく、もっと単純な「好き嫌い」や「テレビで顔を見たことがある」といったことで人を選ぶのではないだろうか。手を振ったら笑い返してくれた、あるいは握手をしたら感じが良かった、とかいったことだ。いまだに政治の世界では「1握手1票」という言葉があるほどだ。
 そうした直感的な投票行動はいいとか悪いとかを、とやかく言えるものでは決してない。それが民主主義の現実でもある。だから自分や自分の周囲の意見と違う結果が出たからといって、それを「衆愚政治」とか「絶望した」と断じるわけにはいかない。やまもといちろう氏が自身のブログで述べているように、不正選挙でないかぎり(今回は一部について公職選挙法違反がささやかれているが)「投票結果はすべて正しい」ということをまず受け止めることから始めるべきだろう。

発言内容よりも印象や感じの良さが勝る

 あくまで個人的な感想を述べると、確かに山本太郎氏の発言内容には若干共感できないものが多かった。特に原発に関するコメントは、一部の人々がツイッターで指摘していたように若干オーバーな印象で、誤解や、現地の人々に不快感を与えるものが多かったようにみえる。
 しかし一方で、筆者がふと通りかかった町で見かけた山本氏の声と立ち居振る舞いからは、何かがあったときに骨を拾ってくれそうな「いいひと感」が醸し出されていた(うがった見方をすれば、元俳優として、そうした演技が得意なだけなのかもしれないが)。そして、山本氏のそうした振る舞いに心を動かされた人が、今回の選挙では多かったのではないだろうか。実際、「言っていることは訳分からないし時々思い込みで話すけど、あいつはいい奴だ」ということで信望を集める人は、世の中にたくさんいる。

 SNSの発展によって、私たちはますます自分の見たいと思うものばかりが実際に目に見えるようになり、「見える」からこそ結果としてそれを現実のすべてのように錯覚しやすくなってきている。以前から多くの人が指摘しているようにウェブ上のコミュニティは同質性が高く、それゆえに心地良い空間だ。その中にあっても多少の意見の相違もあるから、一見健全な議論も働いているように感じられるかもしれない。
 しかし、2回の選挙と選挙をとりまくSNSの風景が改めて示してくれたことは、私たちの多くが所属しているコミュニティは、どのコミュニティも決して社会全体を代弁できるわけではないということだった。私たちはこのことを常に肝に命じるべきだし、時には居心地の悪い、自分の「階層」の外の世界に目を向け、脚を運ぶ努力も忘れてはならないと感じる。そして、この連載のタイトルである「越境すること」は、ついつい人が陥りがちな極論や独善から脱する一番の方法だと私は考える。すなわち、マイノリティとマジョリティ、ビジネスと非営利、富裕と貧困、国内と国外などをそれぞれ体験してみること。

「SNSのわな」から抜け出す簡単な方法

 十分ではないが、手軽な越境体験をする方法をご紹介しよう。私たちの所属する階層の意見と世間全体の意見の齟齬は、同じSNSを使って手軽に確認することができるのだ。やり方は簡単、いくつかのキーワードをツイッターのタイムラインで検索すればよいのだ。
 実はこの期間、筆者は鈴木寛氏と山本太郎氏の名前をツイッターのタイムライン検索をして、その結果が表示されるようにしていた。そこで見える風景は私のタイムラインとは全く別のものだったが、選挙結果には思った以上に近かった。他の候補の名前を入力してみても、特に組織票が少ないとされている候補者については似たような結果になった(余談だが、この類の予測で最高の精度を誇るのは、候補者を予想してお金を賭ける「予測市場」だ)。ツイッターも一般化して、当初よりも利用者の層が厚くなった。全体の傾向を知るに耐える範囲をカバーするようになってきたのかもしれない。これは興味深いことで、今行われているであろうデータ分析の結果が楽しみだ。
 ツイッターの創業者であるジャック・ドーシーとエヴァン・ウィリアムズが言っていたことを思い出す。「10億のユーザーがいれば、Twitterは地球の鼓動そのものになる。」

ドコモ1Q、ツートップ効果薄く苦戦 iPhone好調のKDDIとソフトバンクは増収増益

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1307/31/news046.html


携帯電話3社の2013年4~6月期連結決算が30日、出そろった。米アップルのスマートフォン(高機能携帯電話)「iPhone(アイフォーン)」の販売が伸び、さまざまな割引策が奏功したKDDIとソフトバンクは増収増益を確保。NTTドコモは、ソニー製の「エクスペリア」と韓国サムスン電子製の「ギャラクシー」を割引販売する「ツートップ戦略」で売上高に当たる営業収益は伸びたものの、端末の販売促進費用がかさんだことで営業、最終利益とも減益となった。
 KDDIは、スマホと固定回線をセットで契約すると使用料を割り引く「auスマートバリュー」の利用が伸び、業績拡大を牽引(けんいん)。営業収益は4~6月期としては初めて1兆円を超え、同期では過去最高となった。
 昨年末から5月末にかけて通信障害を相次いで起こしたものの、早期復旧や割引キャンペーンで顧客のつなぎ止めに成功。4~6月は契約者に占める解約の割合が0.56%で「業界で最も低い水準を安定的に維持できた」(田中孝司社長)という。
 ソフトバンクはアイフォーンの販売増などで増収を確保。4~6月の契約純増数は約81万台にのぼり、KDDI(約67万台)やドコモ(約9万台)を引き離した。
 さらに、4月に連結子会社化した新興ゲーム会社、ガンホー・オンライン・エンターテイメントが、スマホ向けゲーム「パズル&ドラゴンズ」の大ヒットで急成長。「全く期待していなかった子会社の大化け」(孫正義社長)も収益に寄与した。
 一方、ドコモはツートップ戦略で、従来型携帯を利用する顧客の買い替えを促し、販売台数の上乗せでは「一定の成果」(加藤薫社長)を挙げたものの、他社からの乗り換えで新たな契約者を獲得する効果は薄く、苦戦が続いた。

《携帯電話3社の2013年4~6月期決算》


-営業収益営業利益最終利益
NTTドコモ1兆1135(3.9)2474(▲5.8)1580(▲3.8)
KDDI1兆24(16.3)1786(89.6)681(32.9)
ソフトバンク8810(21.4)3910(92.3)2382(2.2倍)

※単位:億円。カッコ内は前年同期比増減率%、▲はマイナス

2400店のドコモショップ抱える強みを生かせるか、「タブレットアラジン」で店舗改革

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130722/493245/?ST=cio&P=1


NTTドコモが、提供するサービスを急拡大させている。モバイルを核とした「総合サービス企業」への転換を急ぐドコモにとって、これから進む道は同社にとって経験のない未知なる領域だ。
 確かにドコモには、総合サービス企業を目指せるだけの大きなポテンシャルがある。通信会社としてスマートフォンを販売し、「ドコモショップ」という店舗網を全国に持っている。その数2400店と、ちょっとしたコンビニ並みの規模だ。スマホと店舗というO2O(オンライン・トゥ・オフライン)のインフラを自前で両方持つことがドコモの強みであり、強力な顧客基盤とともに、この顧客接点を生かすも殺すもドコモ次第となる。
 ドコモは今、野菜に体温計、保険、さらには旅行など、相次いで新商品や新サービスの提供と、そのための企業提携や買収に乗り出している。取り扱うコンテンツの広がりについては、明日の第2回で詳しく述べるが、単なるスマホ通販にとどまらず、2400カ所の店舗網を絡めたリアルビジネスとの相乗効果を最大限に引き出すことで、ネット通販の覇者である楽天やアマゾン・ドット・コムにはない特異なビジネスモデルを構築しようとしている。
 振り返って、ドコモの差異化要因である我々にとっても身近なドコモショップについて見てみると、現状では誰の目にも課題が山積みであることは明らかだ。スマホの機種変更では80~90分待ちが当たり前。家族で訪れると、全員の対応が済むまでに半日がかりになることも珍しくない。貴重な週末が機種変更だけで終わってしまう。それほど混雑が激しい。
写真1●「タブレットアラジン」を持つ「ドコモショップ渋谷店」のスタッフ
 そこにきてドコモは、ドコモショップでスマホ以外に婦人体温計といった健康機器まで扱い出した。ドコモショップのスタッフは、これまで想像もしていなかったであろう“変わった”商材も取り扱っていかなければならなくなった。ドコモ側が何も対策を打たなければ、ドコモショップでの待ち時間はさらに延びるのは必死だ。そして顧客満足度は落ちる。他社スマホへの乗り換えが後を絶たないドコモにとって、既存顧客の満足度を高め、つなぎとめる経営努力が欠かせない。
 ドコモの経営陣が描く総合サービス企業としての「巨大な絵」と、商材の広がりと待ち時間の拡大に疲弊する現場。このギャップをどう埋めていけばよいのだろうか。
 ご存じの通り、ドコモショップを切り盛りするのはドコモの社員ではない。代理店のスタッフたちだ。彼ら彼女らへの支援やサポートが急務になってきている。
 そこでドコモが投入を決めた切り札が「タブレットアラジン」である(写真1


 ドコモの基幹システム「アラジン」の名が付く通り、タブレット端末には顧客サービスに必要な業務システムを搭載している。ドコモショップでカウンターへの案内の順番を待つ顧客の目の前まで基幹システムを“持ち出し”、その場でできることは即対応(写真2)。少しでも待ち時間を減らす。
写真2●「タブレットアラジン」を使った接客風景
 目標は高い。これまで90分近くかかっていた機種変更時間を、3分の1の30分まで短縮する。既に60分まではメドが立ったが、さらに半減となると、ハードルは相当高い。
 タブレットアラジンは先行して一部の店舗で試験導入を開始。ドコモショップの現場を取り仕切る副店長クラスの人たちとドコモが定期的に検討会を開き、使い勝手を向上させてきた代物だ。既に試験店では一定の導入効果が認められたため、2013年8月には全2400店中、1800店への導入を英断した。
 ドコモの岡誠一販売部代理店担当部長は「ドコモショップのオペレーションが劇的に変わることを期待している」と語気を強める。もっとも、試験店を除けば、タブレットアラジンが入り始めるのはこれから。習熟が進むのは、2013年秋以降になるだろう。
 タブレットアラジンの特徴は、店舗のカウンターに顧客を案内する前に、顧客がソファなどに座った状態で、契約内容の確認・変更、サービスの追加や仮登録、料金診断などができることだ(写真3)。つまり、内容によってはカウンターで対応せずに、その場で顧客の要望を解決してしまう。
写真3●「タブレットアラジン」の画面
 スタッフのタブレット操作は基本的に、直感的なものばかり。顧客も自分の契約内容などを理解しやすい。7月初旬に取材に訪れた「ドコモショップ渋谷店」では一足早く、タブレットアラジンを使った接客が始まっていた。
 店舗オペレーションの改革はタブレットアラジンの導入だけにとどまらない。ドコモは商材の拡大を見越して、店内で「体験ゾーン」の確保に乗り出している。順番を待つ間、スマホはもちろん、体温計などドコモが新たに扱い始めた商材を自由に触って試用できるように改装を進めている。
 もっとも、こうなってくるとドコモショップを運営する代理店側には「店舗スタッフの配置をどうするか」という新たな課題が浮上してくる。


 まず、店舗入り口に顧客を出迎えるスタッフを置く。ドコモショップは来店予約も始め、まずここで顧客の予約内容や用件を聞き、応対内容ごとに振り分ける。
 カウンターが混んでいる時はソファや体験ゾーンへの移動を促し、時には顧客の求めに応じてタブレットアラジンでのフロア接客もする。そのためには自由に店内を動き回れるフロアスタッフを最低1人は確保しておかねばならない。カウンター対応も十分ではない現状では、人員がまだまだ足りないのが実情である。
 週末の大混雑は顧客だけでなく、スタッフにとっても大きな負担だ。
 顧客が待ち続けるなかでスタッフはトイレや休憩にもなかなか行けず、モチベーションが下がりかねない。体力的にもきつく、女性スタッフが多いドコモショップでは離職者も少なくない。
 するとオペレーションの習熟が落ちて、新たな人材確保や新人教育にコストがかさむ。商材の拡大は商品知識の習得にも時間を要する。携帯電話だけ扱っていればよかった時代とは、求められる接客スキルのレベルは格段に高まっている。
 こうした現場の対応力強化が、総合サービス企業に生まれ変わりたいドコモの喫緊の課題である。そのためにタブレットアラジンがどこまで力を発揮するのか、注目したい。
 タブレットを販売する企業としての意地もあるはずだ。総合サービス企業への脱皮において、タブレットアラジンで失敗は許されない。

不正アプリが集めた個人情報、何に使われる?


http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20130725/494092/?ST=security&P=3

不正なアプリケーションによりスマートフォンから抜き取られたデータは、どこに行きどのように使われるのでしょうか?
 ネットエージェントは、アプリがどのような情報をスマートフォンから収集するかを検索できるサイト「secroid」を立ち上げました(図1)。Androidアプリをユーザーが安心してインストールできるように、公式のGoogle Playでは表示されていないアプリの潜在リスクを分かりやすく表示することで、ユーザーの判断する助けになる情報を提供します。
図1●secroidのトップページ
 Androidのユーザーは必ずといっていいほど、Googleにアカウントを持っています。まずGoogle Playでアプリを検索して、インストールする場合にアカウントを使います。Gmailを使っていたり、Googleで検索をしたり、電話帳をGoogleに預けたりするときにもアカウント情報を使います。
 これ以外にも、Google Mapにより位置情報を調べる、Google Analyticsが入っているサイトを訪れる、YouTubeで動画を見る――などの行為をしているときも一つのアカウントにひもづいた状態で、Googleにわたっています。
 真偽のほどはわかりませんが、Googleは最近マスメディアで取り上げられた米国家安全保障機関(NSA)の「PRISM」システムにも、データを提供できる状態になっている可能性が指摘されています。ただGoogleはこれに対する参加を否定しています。
 このように最も多くの個人情報がGoogleに集まりますが、それ以外にも米国のスマートフォン向けに広告を提供している会社が個人情報を収集しようとしています


ユーザーには見えない情報収集モジュールの実態

 Androidのアプリには本体の機能と、その機能を拡張して便利に使えるようにするライブラリ、そして情報収集モジュールというものがあります。情報収集モジュールは、「広告」、ユーザーの操作履歴などを把握する「ユーザーの追跡」、アプリがどういった環境と状況でクラッシュしたかを伝える「クラッシュレポート」、「課金」の4つの機能を含んでいます。
 Androidの無料アプリはほとんどの場合、趣味で作られているわけでなく、企業やそれで生計を立てている個人が開発しています。収益源は主に2種類あり、アプリから有料アイテムを買えるようにする「アイテム課金モデル」とアプリに広告を入れる「広告モデル」に大別されます。ただし、そのほかに実店舗に誘導するクーポンアプリや、PRのためのアプリ、アフィリエイト目的だけのアプリもあります。
 多くの無料アプリは、アプリ内に広告表示枠をつけることにより現金収入が得られる広告モジュールを採用しています。ただし単純に広告を表示するのなら、複雑な機構は要りません。広告を配信する側は、アプリのユーザーのニーズにできる限りマッチした広告を出すことが広告の費用対効果を高められ、広告の媒体価値をあげることを考えます。つまり広告を配信する対象にかかわる情報の量と精度、そしてどの程度まで個人を特定できるかが広告配信を手がける企業の価値を決めるといってもよいでしょう。
 パソコンのブラウザに表示される広告は、一般的には広告表示ページの情報、アクセスするユーザーのIPアドレス、その広告に対するCookieなどによって成り立っています。広告主は、広告表示ページをカテゴライズして、個々のユーザーがどのようなページを見るのかCookieを使って追跡しています。
 こうしてユーザーの属性を分類し、その属性にマッチするように広告を出しています。広告以外にもサービスを手掛けている事業者では、他のサービスで得られた情報を統合して、ユーザーの属性情報を詳細化している場合もあります。これに対して、スマートフォンアプリの広告では、広告を表示するアプリがユーザーを識別する情報を組み合わせ、誰にどの広告を出したのかを分かる仕組みをとっていることが多くあります。
 これはパソコンのCookieの仕組みにもある機能ですが、スマートフォンの場合は端末を識別できるIMEI(携帯電話端末などに割り当てられる固有の番号)、Android ID、Wi-FiのMACアドレスなどが容易に取得できるため、これを活用して情報を利用しています。中には、SIMカードのシリアル番号や、090や080から始まる電話番号自体を識別番号にしているケースもあります。


識別の方法には、他の方法よりも個人を特定しにくいCookieを使っているところもあります。スマートフォン広告では、これらのIDと利用しているアプリ、アプリを利用した時間が記録されるため、これら情報を基に広告を最適化しています。一部の広告はGPS(全地球測位システム)や基地局情報、周辺の無線LANのAP(アクセスポイント)情報により位置情報も収集し、誰がどの端末を使っているかに加えて、「どこで」という情報も追加します。

なぜアプリにたくさんの広告モジュールが入っているのか?

実はいくつかのアプリには、複数の広告モジュールが入っています。アプリには1つだけ広告モジュールがあればよいようにも思われますが、複数のモジュールを使うのは広告の在庫が残っている広告配信会社が、高い広告料を付けてくれるためです。その時々に、最も高い広告料を得られる広告を表示するために、アプリが表示する可能性がある広告モジュールをあらかじめ複数入れているのです(図2)。
図2●secroidで検出した広告モジュール
アプリの中に数多くの広告モジュールが組み込まれていることがわかる
アプリからすると複数の広告モジュールが入るため、モジュールごとにユーザーのどの情報をどう使うのかとか、情報の取り扱いなどが異なってきます。本来であれば広告モジュールを提供する情報収集元がこうした取り扱いを公開する必要があるといえるでしょう。
 手本となるのは、Google自身が提供する「AdMob」ですが、同サービスはGoogle Playと連携しているため、Androidスマートフォンをはじめて使う時点で、ユーザーは知らないうちに情報の活用について同意してしまっています。一部のスマートフォン販売店では、端末を購入した時点で店員がユーザーの代わりにセットアップするため、情報の活用についてその時点で同意してしまいます。この結果、ユーザー本人が同意しないうちに、個人情報を利用されている場合もあるようです。
 Google以外の広告モジュールを組み込んだユーザーがすべてを理解しているかどうかは分かりませんが、それぞれの広告モジュールが各社へ送信している情報や、その取り扱いは異なっています。本来であれば、アプリごとにどのような情報を渡していて、その会社からどの情報を第三者に提供するのかなどがユーザーに知らされるべきでしょう。しかし、それが十分行われているアプリはごく少数です。
杉浦 隆幸(すぎうら たかゆき)
ネットエージェント社長

2000年にセキュリティベンダー、ネットエージェントを創設。2012年、スマートフォン向けの不正アプリ「the Movie事件」で、個人情報漏えいが発生していることを指摘。同年secroidの提供を開始。Enesoluty事件で逮捕に結びつく情報を千葉県警に提供した。


スマホを使いすぎて、バカになっていませんか? 一週間のうち10%は、ネットも本も使わず、自分で考えてみよう








 テクノロジーによって変化するメディアのあり方は、私たちの情報取得のありかただけでなく、私たちの思考プロセスにも影響を与える。例えば、タイプライターが発明されたあと、それを使いはじめたニーチェの文体は変化していったという。なぜそのようになるかというと、脳には可塑性というものがあり、状況に合わせてその機能を変化させていくことができるからだ。技術は私たちの認識のあり方を少しずつ確実に変化させると説いた、メディア論の泰斗、マーシャル・マクルーハンの慧眼には敬服せずにはいられない。
 現代のテクノロジー、特にインターネットが人間の脳にどのような影響を与えるのかについては、多くの研究がされている。いくつかの本のなかで、特にこのテーマに正面から挑んでいる本は、ニコラス・カーの「ネット・バカ」(原題は”The Shallows”)だろう。この本では、インターネットが私たちの脳にどのような影響を及ぼしているのかが述べられている。
 こういった人間の脳の変化に伴う思考力の低下は、かなり深刻な問題として議論されている。今回はそのことについて書いてみよう。

現代社会における私たちの脳

 様々な研究が示唆することは、現代社会において、インターネットを日々使っている私たちの脳は確実に変化しているということだ。
 まず、情報を探す能力や、膨大な量の情報を要約する能力は高くなった。Google検索を駆使して情報を探し出し、それをまとめて、多くの人が(実際にどうかはさておき)「ちょっと賢そうなこと」を言えるようになった。
 また、マルチタスキングも得意になった。これについては、「最新脳科学で読み解く脳のしくみ」という本で、サンドラ・アーモットとサム・ワンが述べているところでもある。私たちは、フェイスブックでチャットをし、Gmailでメールのやりとりをし、ツイッターで流れる情報を見ながら、資料を作るといったことが簡単にできるようになった。
 しかし一部の能力は退化してきている。一言でいうと、深く集中して何かを考える能力が落ちているのだ。
 会議中には自分の携帯のチェックをついついしてしまったり、仕事しながらメールやSNSでのコメントをチェックしてしまったりと、私たちの多くは注意散漫になり、落ち着いて1つのことをじっくりと考えることができなくなっている。分かりやすいまとめサイトのため、文脈のある長い文章を読み込む力も落ちている。情報が検索すればすぐ手に入る環境の中では、何かを記憶し続ける能力も低下している。最近、堀江貴文さんが「ネットの記事は長すぎる。すべてを400文字くらいにまとめたニュースサイトを作りたい」と話していたが、それもこういった私たちの性質の変化に沿ったものであるといえる。
テクノロジーと離れて生きていくことは難しいので、これらはほとんど不可逆的な変化だとはいえ、私たちの思考力の低下はかなり深刻なレベルになりつつあるかもしれない。例えば、インターネットを用いて情報をまとめて一見立派なことを述べても、それはハリボテのような議論構成になっていて、ちょっと突っ込んで話してみたら答えられないことが多くなった。

知識をレバレッジする能力が落ちている

 ここでいう思考力は、いま手元にある知識をてこにして、より高次元の結論を導き出す能力だ。クイズなどで、限られた情報を頼りに考えることを通じて答えを出す能力ともいえる。
 単純化すると、知的なアウトプットの質は、知識量と思考力の掛け算からなっており、きちんとしたアウトプットのためには知識と思考力の両方が一定程度そろっている必要がある。知識だけがあっても、それをきちんとまとめられなかったら、アウトプットはなんだかわけの分からないごちゃごちゃした資料となるだけだ。一方で、いくら思考力があっても、知識に依拠しないアウトプットは単なる自説の開陳に過ぎず、せっかく「巨人の肩の上に乗る」機会があるのにそれを逸してしまうことになる。
 現代で私たちに起こっていることは、知識量の増大とその一方での思考力の低下だ。私自身、子どもの頃に比べて、手に入るだけの情報を手がかりにして答えを出す思考力が落ちているのを痛感することが増えた。昔の人々が少ない知識量と、より高い思考力を持っていたとしたら、両者の積である知的生産の質は一定に保たれているかもしれないが、実際のところはどうなのかは分からない。

思考力を失わないための習慣

 手元の知識をテコにしてより高度な知的アウトプットを導き出す思考力を維持することができれば、私たちは、昔の人たち以上の知的生産をできるかもしれない。素晴らしい機会が目の前に転がっている。

では、どうすれば思考力を維持することができるのだろう。冒頭で述べたように、私たちの脳は日々の生活によって変化するものだ。だからこそ、思考力を維持させたいのであれば、そのための習慣をつくる必要がある。ある人からいくつかの方法論を教わったうち、4つを紹介しよう。
  • インターネットを使わない日を設けること:近年において、コンピューターが膨大なデータの処理を容易にできるようになったことと相まって、ネット上のサービスはどんどん私たちの時間を奪い取るための進化を遂げ、結果として私たちをより注意散漫にしている。毎日ネットなしで暮らしていくわけにはいかないが、休日などはPCも携帯も持たず、ノートとペンだけを持って外出するというのが1つの方法だ。

  • 長い文章を丁寧に書くこと:コンスタントに、字数にして3,000字以上の文章を丁寧に書くこと。ただ字数が多いだけではだめで、単語ひとつ、接続詞ひとつにもこだわって、一定時間をかけて文章を書くこと。というのも、一定の長さの文章を丁寧に書くということは、必然的に自分の考えを深めて整理するという作業を伴うからだ。

  • すぐに検索しないこと:何か疑問が浮かんだときに、すぐに検索せずに、自分で何回か答えを考えてみて、それから検索をすること。いうなれば、クイズ番組みたいに、自分で答えを考えてから、答えを見ること。なぜなら、すぐに疑問に答える仕組みが身近にあると、自分の力で考える力が失われるからだ。

  • 現場に行くこと:インターネットを通じて手に入る情報だけに頼るのではなく、現場に行き、そこで生の情報に触れること。雰囲気、温度、匂いなどネットメディアでは伝わらない大切な情報が現場にはある。そういった現場に身を置いて考えることで、思考はより一段深くなる。
 こういう訓練をしても、私たちが問題に直面したときに得る答えの見た目は変わらないのかもしれない。しかし、しかし、同じ結論を得るのであっても、それが自分の脳をフルに使って考えぬかれたものである場合とそうでない場合では、その後の議論の力強さや、ある分野で得られた知識の他の分野への応用可能性などが大きく異なってくる。

古くて新しい、テクノロジーと思考力の問題

 技術進歩が思考力を衰えさせるという問題は、21世紀的な問題というわけではない。例えば、活版印刷の誕生が当時の人々に与えたインパクトは、インターネットが私たちに与えたそれと同じくらいのものだった。印刷技術の進歩の結果、一部の人だけのものだった本が、至る所に出回るようになった。

世にあふれる本の中で(といっても、現代に比べたらはるかにましだが)、ショウペンハウエルは次のような警鐘を発していた。
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない。習字の練習をする生徒が、先生の鉛筆書きの線をペンでたどるようなものである。だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移る時、ほっとした気持ちになるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。そのため、時にはぼんやりと時間をつぶすことがあっても、ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。
・・・
熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる。食物は食べることによってではなく、消化によって我々を養うのである。それとは逆に、絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根をおろすこともなく、多くは失われてしまう。
「読書について 他二篇(改版)」、岩波書店、1983、127ページ

技術で代替される能力の鍛錬に努めよう

 産業革命は、人間の肉体を代替していった。例えば、交通手段の発達は私たちの脚を弱くした。そして、それに危機感を抱いた人々は走る習慣をもち、自分の身体を意識的に鍛えるようになった。
 情報革命は人間の脳を代替する。この革命は、印刷技術の進歩とは比べ物にならないほどに、私たちの思考力を奪っていくのかもしれない。
 数十年前に先進国に住む人びとが身体を意図的に鍛える必要に直面したように、今後は思考力を意図的に鍛える必要が生じているのではないだろうか。先に4つの例を挙げたが、日常の10%ほどでもよいので、メディアに頼らずに自分で考える習慣をつけてみてはどうだろう。

2013年7月26日金曜日

子供のネット依存、治療に当たる久里浜医療センター院長が「生易しい問題ではない」と警告

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20130720/492762/?mle


おそらく多くの人たちは『ネット依存』なんて大した問題ではないと思っているのではないでしょうか。それはとんでもない話です。子供たちのネット依存は、そんな生易しい問題ではありません。私は長年、アルコールや薬物に依存する大人たちの治療に携わってきましたが、ここに来る子供たちのネットへの依存度は、アルコールや薬物への依存と変わらない重大なものばかりです」。
 ネット依存の子供たちと向き合う独立行政法人国立病院機構久里浜医療センターの樋口進院長は、真顔で私にそう語った(写真)。
写真●神奈川県横須賀市にある久里浜医療センターの樋口進院長
 神奈川県横須賀市の海沿いにある久里浜医療センターは、日本で最初にネット依存の治療を始めた医療機関だ。それでも開始は2011年7月。実際に患者が来るようになったのは同11月から。まだ1年8カ月ほどである。久里浜医療センター以外で対応できているのは、全国規模で見ても数カ所もないという。そのため久里浜医療センターには全国から悩み相談が集中する。
 2013年7月までの間に、久里浜医療センターには約350件の電話相談が寄せられ、そのうちの3分の1に当たる約120人が実際にセンターにやって来た。半分以上は、親に「無理やり」連れてこられた未成年者だ。
 ネット依存といっても、これまでに来院した子供たちの80%は、パソコンを使って多人数で遊ぶオンラインゲームへの依存が強い人たちばかり。先に社会問題になった携帯電話やスマートフォンで楽しむソーシャルゲームの方ではなく、「家に引きこもって何時間もパソコンやゲーム機にのめりこんでしまう子供たち」だという。大学生を含む、10代の男子学生がほとんどである。
 逆に女性は20代以上。男性と違ってSNSにはまる傾向が強く、ゲーム依存はまれ。「好きな芸能人の追っかけがいつしか度を越し、四六時中SNSばかりしている女性がいる」(樋口院長)。
 男性と女性で傾向が異なるのは、そもそも依存対象が男性と女性では違うからだ。ちなみに米国では出会い系などにはまる人が多いそうだが、久里浜医療センターにはそうした相談は少ない。
 最近はLINEなどにはまる子供の話もなくはないが、「現在までにセンターに寄せられた相談はオンラインゲームが圧倒的に多い。ただし、ネットの分野はトレンドの移り変わりが激しいので、どんどん依存対象が変化していくことも考えられます。頻繁に調査をしない限り、実態をつかむのは本当に難しい」。


ネット依存傾向者は全国に約270万人ほどいると推計されている。ただそれも「2008年の調査結果。5年前のものです。現在ちょうど最新の調査を実施中ですが、スマホの登場で状況はまた変わり、依存傾向者はさらに増えていると思われます」(関連記事:スマホから離れられない子供たち、「スマホチルドレン」は今)。
 しかも270万人という数字は、国内の成人だけが対象だ。問題がより大きい未成年者が含まれていない。「未成年者については別に調べているところで、近々結果が出ます」。そのとき、驚愕の事実が判明するかもしれない。「具体的な数字が出てきて初めて、対策に向けて重い腰を上げてくれる人たちが出てくるかもしれません」。
 ともかく、日本での取り組みは始まったばかり。ゲームやスマホアプリの仕組みまで理解しながら、子供たちと根気よく向き合える専門性の高い医師の数も非常に限られている。

中高一貫校や有名大学のエリート学生が多く来院するわけ

 オンラインゲームへの依存(正確には「嗜癖」と呼ぶ)が強まると、子供たちはどうなるのか。
 家に閉じこもって夜型になり、学校に行かなくなる。当然成績は下がり、落ちこぼれて、退学を余儀なくされる人もいる。こうなるまでに、ゲームを始めてから半年とかからないこともある。重症化するまでの期間が短いのも特徴だ。
 この1年8カ月、100人を超えるネット依存の子供たちを見てきた樋口院長によれば、オンラインゲームにはまる子供たちは皆、「ゲームをしている間は異常なまでのハイテンション状態が続き、ものすごいエネルギーを消耗している」。生活は昼夜が逆転することが多く、「ゲームを終えたときには“電池切れ”の機能不全状態になって、何もできなくなってしまう」。すると風呂には入らず、食事もろくに取らなくなる。要するに、社会生活が営めなくなる。
 オンラインゲームにはまる子供たちのなかには、発達障害など別の問題を抱えている人も少なくない。人とのコミュニケーションが苦手なうえ、「自分をうまくコントロールできなくなってしまう」。こだわりが強く、「ゲームをやりたい」という衝動を抑えきれない。
 親が心配して、パソコンやゲーム機、スマホを取り上げるとどうなるか。
 親に暴力を振るい出したり、ゲームを続けるために無茶をし始めて、「ネットカフェで無銭飲食して補導されたり、パソコン機器などを万引きして捕まったりするケースも出始めている」。
 そういう子供たちと治療で向き合うのは容易ではない。樋口院長など医師側も毎回真剣勝負で、体力の消耗が大きいというのが本音だ。
 自主的に来院する子供など、まずいない。親に引きずられるように連れてこられる。来院するタイミングはちょうどゲームが面白くて仕方がない頃なので、「ものすごい不機嫌な状態でやって来ます」。本人がかたくなに抵抗し、親だけが先に相談に来て、後日、本人が現れることも珍しくない。
 意外なことに、来院する子供たちの多くは中高一貫校や有名大学に通う、いわゆるエリート学生が多いのだという。それはどういうことなのだろうか。成績優秀な子供たちほど、実はネット依存に陥りやすいのだろうか。
 樋口院長は「そうではありません」と説明する。


ネット依存はまだまだ実態が知られていない。ましてや、久里浜医療センターのような治療施設があることを知らない親の方が多い。
 そのため、「ここに来院してくるのは今のところ、もともと教育熱心な家庭で育った子供たちに偏っていると見られます。情報にアンテナを張っている親が当センターの存在を自分で見つけて連絡してきたというのが大半です」。つまり、氷山の一角が露呈したに過ぎず、それが現時点に限っては、エリート学生に偏って見えているだけ、ということである。
 「ネット依存は誰にでも可能性があります」。樋口院長はそう警告する。

ゲーム以外に面白いものを見つけられるかが転機に

 ネット依存の治療は今まさに始まったばかりだ。しかし樋口院長は、既に問題解決の難しさを痛感している。
 まず治療のゴールをどこに設定すべきか。
 樋口院長のもともとの専門であるアルコール依存や薬物依存、たばこ(ニコチン)依存などは、依存対象の摂取をやめることが1つの明確なゴールになる。しかもこれらの依存は続けると確実に体を蝕むので、本人が依存を自覚しやすい。
 ところが新しく浮上してきたネット依存は、ゴールが設定しにくい。今後、私たちの生活からネットがなくなることはなく、むしろどんどん密着していく。便利なサービスは使っていかなければならない。そうした環境のなかで、例えばゲームだけを遮断するのは容易ではない。「利用するサービスを限定するとか、使う時間帯を決めるとか、うまく付き合っていかなければなりません」。
 依存する人が大人ではなく、子供なのもネット依存の特徴だ。「これまでアルコール依存や薬物依存は、主におじさん(中高年)の問題だった」。だがネット依存は大半が子供。治療を難しくしているのは、その子供たちの自覚の少なさだ。
 特にオンラインゲームでは、ネットの世界にログインした途端に、自分と同じように今まさにゲームを楽しんでいる“仲間”がたくさんいると思えてくる。「自分が“どこかおかしい”という感覚を持ちづらく、『これが普通だ』と錯覚してしまいます。『問題だ。何とかしなければ』という意識にはなりにくいのです」。これが今後スマホへの依存に移っていくと、もはや生活の一部なだけに、ますます自覚がなくなるだろう。周りから見ても、ネット依存なのかどうかが分かりにくい。持ち歩くので引きこもりになるとも限らない。
 実はいかなる依存症の治療も、出発点は「本人の自覚」からと樋口院長は指摘する。「本人の自覚なしに、単にゲームを取り上げても暴れるだけ。何の解決にもなりません」。入院するにしても、やはり本人の自覚がないとうまくいかないのは、過去の依存症治療から明らかである。
 そのため通院が始まると、樋口院長がまず始めるのは「子供たちとの信頼関係の構築」である。治療はその先だ。


私が久里浜医療センターを訪れた7月中旬のこの日も、樋口院長は直前まで子供たちと昼ご飯を一緒に食べながら話をしていたところだった。信頼関係を築き、自覚を促すまでには相当の時間がかかる。1~2回の通院で何とかなるような問題ではない。
 まして、相手はこれから先のある子供たち。通院や入院したことが「心の傷」になって残りかねないし、将来のキャリアに傷がつく可能性も否定できない。治療には慎重さも求められる。1つとして同じケースはない。
 「ネット依存の問題は経験の蓄積がまだない。今の子供たちが大人になる10年後にどんな影響が出てくるのか、まだ全く分かりません。子供時代のちょっとした気の迷いで済まされる問題なのか、それとも人の成長に深刻な影響を及ぼすものなのか、研究は始まったところです」。
 もちろん、悲観してばかりもいられない。樋口院長は相手が子供たちだからこそ、光明が差すこともあり得ると前向きに捉える。
 「子供たちはまだ人生経験が浅い。それゆえに、ゲームよりも楽しいことがほかにたくさんあることを伝えてあげられれば、切り替えは大人よりも早いでしょう」。
 クラブ活動を始める、アルバイトに精を出す、興味が持てる学校に入り直すなど、ゲーム以外のアクティビティーに目を向けてもらうのが肝心だ。それがネット依存から抜け出す転機になる。ある子供は音楽の世界に関心を移し、ネット依存から脱却した。
 なお、久里浜医療センターのWebサイトでは、ネット依存のスクリーニングテストを利用することができる。心配事のある人は試してみてほしい。センターで受診を希望する場合は予約が必要だ。

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