2013年3月14日木曜日

マクドナルド失速 崩れた「成功方程式」

■原田さんだから何とかするのだろうな。そちらに興味シンシンだ。

マクドナルド失速 崩れた「成功方程式」

 

 日本マクドナルドホールディングスに異変が起きている。2012年12月期の既存店売上高は9年ぶりにマイナスとなり、年明け以降も回復の兆しは見えない。ブランド力で他の外食をしのぎ、デフレを勝ち抜いてきた同社に何が起こっているのか。
 「今期、既存店売上高がプラスになるというが、ストーリーがよく見えない」
 2月7日に開かれた日本マクドナルドホールディングスの12年12月期の決算説明会。説明に立った会長兼社長の原田泳幸はいつになく、厳しい質問を浴びせられた。「バリューを上げる色々な手を考えている」と原田は答えたが、問い詰める記者やアナリストを納得させることはできなかった。
 デフレ、少子高齢化という逆風にかかわらず成長を続け、「デフレの勝ち組」と呼ばれてきた日本マクドナルド。これまで伸び続けていた全店売上高(フランチャイズ店含む)も2期連続で前年実績を割り、連結経常利益も14%減と7年ぶりにマイナスだった。
 「まあ、負けることもありますよ。勝ちっ放しなんてあり得ない」。業績低迷について原田はかぶとを脱ぐが、「外食や持ち帰り食の市場ではシェアは上がっている」と強がる様子には、悔しさがにじみ出ていた。
■「60秒サービス」も不発
 年明け以降、売り上げはさらに落ち込んでいる。
 1月、販売てこ入れ策として「60秒サービス」を始めた。商品を60秒以内に提供できなければ無料券を配るというキャンペーン。週刊誌やネットでは話題となり、集客効果が期待された。ところが、手元にあがってきた1月の既存店売上高は前年同月比17%の大幅マイナス。これだけの落ち込みは02年7月(17.6%)以来だ。めったに動じない原田も「これは想定を超えている」と顔色を変えた。
 04年の社長就任以降、今回は原田にとって最大の難局といえる。急速な市場環境の変化を前に、原田にも次の成長への道筋がはっきり見えないのだ。
 原田は日本NCRなどを経て1997年、アップルコンピュータ(現アップル)日本法人社長に就任。パソコン「マッキントッシュ」のブランド力を高め、長く販売不振に陥っていたアップルの日本事業を立て直した。その手腕に注目したのが米マクドナルド。2004年に日本マクドナルドホールディングス社長にヘッドハンティングし、低価格キャンペーンと急速な店舗網拡大による弊害で傷んでしまったブランド再生を原田に託した。

 それから約9年。全くの異業種への転身にもかかわらず、原田の打ち出した策は次々に当たり、日本マクドナルドは復活した。原田も「プロ経営者」としての名声を高めた。勝ち続けた9年といっていい。しかし、今回は「成功の方程式」が通用しない…。
■2度目は通用しなかった100円メニュー
原田社長就任以降の日本マクドナルドの主な取り組み
2004年5月原田氏が社長就任
2005年4月集客力を高めるため100円メニューを導入
10月「えびフィレオ」発売、ヒット商品に
2007年6月都市部で高く、地方で安くする地域別価格を導入
2008年2月100円メニューにコーヒー追加
2010年不採算の433店を閉鎖
2010年12月宅配サービスを一部で開始
2011年2つのドライブスルーレーンを設けた店舗を本格展開
2012年5月100円メニュー拡大版を導入
7月「世界のマック」を発売
2013年1月
  • 福岡など5県で実験的にハンバーガーを値上げ
  • 「60秒サービス」実施
 社長就任以降、成長の原動力となったのは05年に始めた100円メニュー戦略だ。ハンバーガーやコーヒー、ポテトなど「100円メニュー」で新規顧客を店舗に呼び込み、徐々に単価の高いメニューへ誘導する手法。前回は100円メニュー戦略後に投入した「えびフィレオ」などがヒットし、狙いは当たった。
 100円メニュー戦略は世界のマクドナルドグループの経営の基本。「リーチ(接触)とフリークエンシー(頻度)」といわれるマーケティング手法で、顧客との接点を広げ、新たな商品・サービスでリピーターを増やす。マクドナルドは創業から大きく変わらないメニューながら、こうした基本の徹底で世界最大級の外食チェーンに上り詰めた。原田以前の日本マクドナルドは米本社と距離を置く傾向が強かったが、原田はグローバル共通の手法が立て直しに有効と判断し、従来の単なる低価格メニューと一線を画した。
 東日本大震災をきっかけにじわりと集客数が鈍化してくると、原田はこの手法を再び取り入れ、販売回復を試みた。
 12年5月。原田は急きょ、本社のある東京・新宿に部長以上や全国の店舗の指導に当たるスーパーバイザー約300人を集め、「マクドナルドの強みはバリューフォーマネー(お得感)とスーパーコンビニエンス(便利さ)。それを共有したい」と100円メニュー拡大版の導入を説明。100円メニューの拡充、無料コーヒーチケットの大量配布を柱に、500円のセットメニューなどコンビニエンスストアに対抗する価格戦略も打ち出した。
 「一度来店した顧客は100円メニューで終わることはない。必ず購入金額を引き上げる」。過去の経験から、原田はそう確信していた。
 結果はどうだったか。マクドナルドの期待を裏切る消費者行動がデータにはっきりと現れている。
 100円メニュー拡大版の開始月となった12年5月は、客数を前年同月比2.2%増やしたが、客単価は12.9%減と落ちた。以降、客単価は今年1月まで9カ月連続でマイナス。顧客は100円メニューで満足し、高い商品に手を出さなかったことを示している。

客数は一時的に増えたが、海外各国のご当地ハンバーガーを再現した「世界のマック」が不発に終わるなど単価の高い商品への誘導に失敗し、売り上げ増につながらなかった。1月は客足も遠のき(客数8.1%減)、既存店売上高が17%減まで落ち込む事態となった。
■想定以上の外食離れ
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 マクドナルドにとって深刻なのは、高額のヒット商品の不在よりも、想定以上の外食離れという構造問題。震災を境に消費者の購買行動は変わり、不要な外出は避け、食事はできるだけ身近な場所で済ますようになっていた。その最大の受け皿となったのがコンビニ。
 既存店と新店をあわせた全店売上高でみると、勢いの違いが浮かび上がる。新規出店を加速するコンビニは12年12月まで15カ月連続のプラス成長。一方の日本マクドナルドは戦略的な閉店もあったことで12年9月から13年1月まで5カ月連続でマイナスが続く。
 しかも近年は家で簡単に食事をとるためのレシピ本、専用ネットサービスも数多く登場し、外食離れを促す。日本マクドナルドの店舗数3300店に対し、コンビニは5万店。出来立てのコーヒー、種類豊富な惣菜やデザート…。食全般でコンビニは進化を続け、土俵を広げる。「ランチ需要はかつてと変わらない。夕食需要がコンビニやスーパーに流れた」と原田は分析する。もちろん逆風はマクドナルドだけではない。「ウチの店へ来る前にコンビニに(顧客を)インターセプトされてしまう」。低価格レストランチェーンのサイゼリヤ社長の堀埜一成もこう嘆く。
 今の日本マクドナルドには成長への不安がもう一つある。原田による創業者経営の取り壊しがおおむね終わり、もうひとつの成功の方程式が通じなくなっていることだ。
1月に始めた「60秒サービス」は話題にはなったが…(東京都新宿区の店舗)
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1月に始めた「60秒サービス」は話題にはなったが…(東京都新宿区の店舗)
 日本マクドナルドは1971年に輸入雑貨店を営んでいた藤田田(故人)が創業した。日本にマクドナルドを根付かせた藤田は功労者であるのは間違いないが、晩年は迷走した。創業時から20年以上かけて1000店を出したが、1993年から99年のわずか7年間で2000店を出店。しかもハンバーガーの価格を平日65円にするなど激しい低価格キャンペーンを続け、ひたすら売り上げを追った。店舗は荒れ、顧客も離れ、業績は悪化。藤田は03年に退任を余儀なくされた。
 ワンマン経営下の年功序列型の人事制度の下で組織は活力を失っていた。「まともに経営企画書も作れず、情報管理もなっていなかった」。原田は04年に引き継いだ頃の様子をこう振り返る。一方で「ブランド力と潜在成長力は抜群。組織をまともに立て直せば、競争力は回復できる」と構造改革に踏み切った。
■藤田時代の否定がバネだったが…
 古参役員を一掃し、実力主義の人事制度に移行、集客数や収益率の低い店舗は閉鎖し、代わりにドライブスルーのある大型店を増やしてきた。原田にとって藤田時代は常に反面教師。藤田時代の経営の誤りを正し、否定をバネにすることで日本マクドナルドを再び成長軌道に乗せ、求心力を高めてきた。これがもうひとつの成功の方程式だった。

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 だが藤田時代の否定すべき材料はもうない。社内には敵もなく、原田のワンマン体制が確立している。原田が有能な若手社員を登用し、そのチルドレンたちが腕をふるう構図だ。だが、現場にできるだけ任せ、口を出さないようにしても原田が求める「サプライズ」を伴う施策はなかなか出てこない。もう一度、組織の活力を取り戻し、次の成長につなげるにはどうすればいいのか。
 現在約5300億円の日本マクドナルドの全店売上高を「7000億円までは伸ばせる」と原田はいう。藤田時代のように出店を増やせば増収は可能だが、急速な出店は既存店を持つフランチャイズオーナーを苦しめ、最終的に離反される恐れがある。その選択肢はない。
 「一時的なキャンペーンで売り上げを増やしても続かない。構造改革が必要だ」。原田ら経営陣は価格、営業など戦略全般の練り直しを急いでいる。海外からもプロを呼んだ。アジア・オセアニアでマーケティングを担当していたオーストラリア人の女性スタッフと、37年間店舗オペレーションを手がけた米国の男性スタッフだ。この2人に日本人スタッフを加えたチームが「再生」に動き始めた。
100円メニューに依存したマーケティングからの脱却を急ぐ
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100円メニューに依存したマーケティングからの脱却を急ぐ
■「マクドナルドを作り直す」
 13年度第1四半期(13年1~3月)を改革期と位置付け、「既存店売上高10%減」という異例のマイナス目標を設定した。その猶予期間に取り組む施策は朝食メニューの強化、宅配サービスの店舗やドライブスルー店の拡大。一部地域では、最低価格のハンバーガーを20円値上げしたり、ポテトを60円値下げしたりと最新の「お得感」を探る実験も始めた。これだけ様々な手を打つのは「100円メニューは消費者に飽きられてしまった」との危機感がある。
 「マクドナルドを作り直す」――。
 製品開発やマーケティングだけではない。見直しの対象は人材育成、組織運営まで経営全般に及ぶという。藤田時代の否定による成長エンジンが推進力を失った今、次の成長のバネを求める先は原田自身の「自己否定」にある。
 成長への基盤作りの道筋は6カ月でつけるという。第2四半期以降から増収に転じ、最終的にプラスになるシナリオを描く。原田は言う。「昔、上司によく言われたよ。自分の悪評と向き合えとね」。次の成長へ疑問を投げかける周囲の「悪評」を跳ね返せるか。成功体験を否定し、新たな成功方程式を描けた時、藤田の事業立ち上げ、原田による「脱藤田」に続く、第三の創業期を迎える。
=敬称略
(中村直文)

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