2013年3月14日木曜日

マクドナルド失速 崩れた「成功方程式」

■原田さんだから何とかするのだろうな。そちらに興味シンシンだ。

マクドナルド失速 崩れた「成功方程式」

 

 日本マクドナルドホールディングスに異変が起きている。2012年12月期の既存店売上高は9年ぶりにマイナスとなり、年明け以降も回復の兆しは見えない。ブランド力で他の外食をしのぎ、デフレを勝ち抜いてきた同社に何が起こっているのか。
 「今期、既存店売上高がプラスになるというが、ストーリーがよく見えない」
 2月7日に開かれた日本マクドナルドホールディングスの12年12月期の決算説明会。説明に立った会長兼社長の原田泳幸はいつになく、厳しい質問を浴びせられた。「バリューを上げる色々な手を考えている」と原田は答えたが、問い詰める記者やアナリストを納得させることはできなかった。
 デフレ、少子高齢化という逆風にかかわらず成長を続け、「デフレの勝ち組」と呼ばれてきた日本マクドナルド。これまで伸び続けていた全店売上高(フランチャイズ店含む)も2期連続で前年実績を割り、連結経常利益も14%減と7年ぶりにマイナスだった。
 「まあ、負けることもありますよ。勝ちっ放しなんてあり得ない」。業績低迷について原田はかぶとを脱ぐが、「外食や持ち帰り食の市場ではシェアは上がっている」と強がる様子には、悔しさがにじみ出ていた。
■「60秒サービス」も不発
 年明け以降、売り上げはさらに落ち込んでいる。
 1月、販売てこ入れ策として「60秒サービス」を始めた。商品を60秒以内に提供できなければ無料券を配るというキャンペーン。週刊誌やネットでは話題となり、集客効果が期待された。ところが、手元にあがってきた1月の既存店売上高は前年同月比17%の大幅マイナス。これだけの落ち込みは02年7月(17.6%)以来だ。めったに動じない原田も「これは想定を超えている」と顔色を変えた。
 04年の社長就任以降、今回は原田にとって最大の難局といえる。急速な市場環境の変化を前に、原田にも次の成長への道筋がはっきり見えないのだ。
 原田は日本NCRなどを経て1997年、アップルコンピュータ(現アップル)日本法人社長に就任。パソコン「マッキントッシュ」のブランド力を高め、長く販売不振に陥っていたアップルの日本事業を立て直した。その手腕に注目したのが米マクドナルド。2004年に日本マクドナルドホールディングス社長にヘッドハンティングし、低価格キャンペーンと急速な店舗網拡大による弊害で傷んでしまったブランド再生を原田に託した。

 それから約9年。全くの異業種への転身にもかかわらず、原田の打ち出した策は次々に当たり、日本マクドナルドは復活した。原田も「プロ経営者」としての名声を高めた。勝ち続けた9年といっていい。しかし、今回は「成功の方程式」が通用しない…。
■2度目は通用しなかった100円メニュー
原田社長就任以降の日本マクドナルドの主な取り組み
2004年5月原田氏が社長就任
2005年4月集客力を高めるため100円メニューを導入
10月「えびフィレオ」発売、ヒット商品に
2007年6月都市部で高く、地方で安くする地域別価格を導入
2008年2月100円メニューにコーヒー追加
2010年不採算の433店を閉鎖
2010年12月宅配サービスを一部で開始
2011年2つのドライブスルーレーンを設けた店舗を本格展開
2012年5月100円メニュー拡大版を導入
7月「世界のマック」を発売
2013年1月
  • 福岡など5県で実験的にハンバーガーを値上げ
  • 「60秒サービス」実施
 社長就任以降、成長の原動力となったのは05年に始めた100円メニュー戦略だ。ハンバーガーやコーヒー、ポテトなど「100円メニュー」で新規顧客を店舗に呼び込み、徐々に単価の高いメニューへ誘導する手法。前回は100円メニュー戦略後に投入した「えびフィレオ」などがヒットし、狙いは当たった。
 100円メニュー戦略は世界のマクドナルドグループの経営の基本。「リーチ(接触)とフリークエンシー(頻度)」といわれるマーケティング手法で、顧客との接点を広げ、新たな商品・サービスでリピーターを増やす。マクドナルドは創業から大きく変わらないメニューながら、こうした基本の徹底で世界最大級の外食チェーンに上り詰めた。原田以前の日本マクドナルドは米本社と距離を置く傾向が強かったが、原田はグローバル共通の手法が立て直しに有効と判断し、従来の単なる低価格メニューと一線を画した。
 東日本大震災をきっかけにじわりと集客数が鈍化してくると、原田はこの手法を再び取り入れ、販売回復を試みた。
 12年5月。原田は急きょ、本社のある東京・新宿に部長以上や全国の店舗の指導に当たるスーパーバイザー約300人を集め、「マクドナルドの強みはバリューフォーマネー(お得感)とスーパーコンビニエンス(便利さ)。それを共有したい」と100円メニュー拡大版の導入を説明。100円メニューの拡充、無料コーヒーチケットの大量配布を柱に、500円のセットメニューなどコンビニエンスストアに対抗する価格戦略も打ち出した。
 「一度来店した顧客は100円メニューで終わることはない。必ず購入金額を引き上げる」。過去の経験から、原田はそう確信していた。
 結果はどうだったか。マクドナルドの期待を裏切る消費者行動がデータにはっきりと現れている。
 100円メニュー拡大版の開始月となった12年5月は、客数を前年同月比2.2%増やしたが、客単価は12.9%減と落ちた。以降、客単価は今年1月まで9カ月連続でマイナス。顧客は100円メニューで満足し、高い商品に手を出さなかったことを示している。

客数は一時的に増えたが、海外各国のご当地ハンバーガーを再現した「世界のマック」が不発に終わるなど単価の高い商品への誘導に失敗し、売り上げ増につながらなかった。1月は客足も遠のき(客数8.1%減)、既存店売上高が17%減まで落ち込む事態となった。
■想定以上の外食離れ
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 マクドナルドにとって深刻なのは、高額のヒット商品の不在よりも、想定以上の外食離れという構造問題。震災を境に消費者の購買行動は変わり、不要な外出は避け、食事はできるだけ身近な場所で済ますようになっていた。その最大の受け皿となったのがコンビニ。
 既存店と新店をあわせた全店売上高でみると、勢いの違いが浮かび上がる。新規出店を加速するコンビニは12年12月まで15カ月連続のプラス成長。一方の日本マクドナルドは戦略的な閉店もあったことで12年9月から13年1月まで5カ月連続でマイナスが続く。
 しかも近年は家で簡単に食事をとるためのレシピ本、専用ネットサービスも数多く登場し、外食離れを促す。日本マクドナルドの店舗数3300店に対し、コンビニは5万店。出来立てのコーヒー、種類豊富な惣菜やデザート…。食全般でコンビニは進化を続け、土俵を広げる。「ランチ需要はかつてと変わらない。夕食需要がコンビニやスーパーに流れた」と原田は分析する。もちろん逆風はマクドナルドだけではない。「ウチの店へ来る前にコンビニに(顧客を)インターセプトされてしまう」。低価格レストランチェーンのサイゼリヤ社長の堀埜一成もこう嘆く。
 今の日本マクドナルドには成長への不安がもう一つある。原田による創業者経営の取り壊しがおおむね終わり、もうひとつの成功の方程式が通じなくなっていることだ。
1月に始めた「60秒サービス」は話題にはなったが…(東京都新宿区の店舗)
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1月に始めた「60秒サービス」は話題にはなったが…(東京都新宿区の店舗)
 日本マクドナルドは1971年に輸入雑貨店を営んでいた藤田田(故人)が創業した。日本にマクドナルドを根付かせた藤田は功労者であるのは間違いないが、晩年は迷走した。創業時から20年以上かけて1000店を出したが、1993年から99年のわずか7年間で2000店を出店。しかもハンバーガーの価格を平日65円にするなど激しい低価格キャンペーンを続け、ひたすら売り上げを追った。店舗は荒れ、顧客も離れ、業績は悪化。藤田は03年に退任を余儀なくされた。
 ワンマン経営下の年功序列型の人事制度の下で組織は活力を失っていた。「まともに経営企画書も作れず、情報管理もなっていなかった」。原田は04年に引き継いだ頃の様子をこう振り返る。一方で「ブランド力と潜在成長力は抜群。組織をまともに立て直せば、競争力は回復できる」と構造改革に踏み切った。
■藤田時代の否定がバネだったが…
 古参役員を一掃し、実力主義の人事制度に移行、集客数や収益率の低い店舗は閉鎖し、代わりにドライブスルーのある大型店を増やしてきた。原田にとって藤田時代は常に反面教師。藤田時代の経営の誤りを正し、否定をバネにすることで日本マクドナルドを再び成長軌道に乗せ、求心力を高めてきた。これがもうひとつの成功の方程式だった。

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 だが藤田時代の否定すべき材料はもうない。社内には敵もなく、原田のワンマン体制が確立している。原田が有能な若手社員を登用し、そのチルドレンたちが腕をふるう構図だ。だが、現場にできるだけ任せ、口を出さないようにしても原田が求める「サプライズ」を伴う施策はなかなか出てこない。もう一度、組織の活力を取り戻し、次の成長につなげるにはどうすればいいのか。
 現在約5300億円の日本マクドナルドの全店売上高を「7000億円までは伸ばせる」と原田はいう。藤田時代のように出店を増やせば増収は可能だが、急速な出店は既存店を持つフランチャイズオーナーを苦しめ、最終的に離反される恐れがある。その選択肢はない。
 「一時的なキャンペーンで売り上げを増やしても続かない。構造改革が必要だ」。原田ら経営陣は価格、営業など戦略全般の練り直しを急いでいる。海外からもプロを呼んだ。アジア・オセアニアでマーケティングを担当していたオーストラリア人の女性スタッフと、37年間店舗オペレーションを手がけた米国の男性スタッフだ。この2人に日本人スタッフを加えたチームが「再生」に動き始めた。
100円メニューに依存したマーケティングからの脱却を急ぐ
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100円メニューに依存したマーケティングからの脱却を急ぐ
■「マクドナルドを作り直す」
 13年度第1四半期(13年1~3月)を改革期と位置付け、「既存店売上高10%減」という異例のマイナス目標を設定した。その猶予期間に取り組む施策は朝食メニューの強化、宅配サービスの店舗やドライブスルー店の拡大。一部地域では、最低価格のハンバーガーを20円値上げしたり、ポテトを60円値下げしたりと最新の「お得感」を探る実験も始めた。これだけ様々な手を打つのは「100円メニューは消費者に飽きられてしまった」との危機感がある。
 「マクドナルドを作り直す」――。
 製品開発やマーケティングだけではない。見直しの対象は人材育成、組織運営まで経営全般に及ぶという。藤田時代の否定による成長エンジンが推進力を失った今、次の成長のバネを求める先は原田自身の「自己否定」にある。
 成長への基盤作りの道筋は6カ月でつけるという。第2四半期以降から増収に転じ、最終的にプラスになるシナリオを描く。原田は言う。「昔、上司によく言われたよ。自分の悪評と向き合えとね」。次の成長へ疑問を投げかける周囲の「悪評」を跳ね返せるか。成功体験を否定し、新たな成功方程式を描けた時、藤田の事業立ち上げ、原田による「脱藤田」に続く、第三の創業期を迎える。
=敬称略
(中村直文)

クレーム噴出、目立つ欠航…成田発格安航空の実態

■ターゲットの調査・分析、基本的な戦略とマーケティングってだいせつだなぁ。しかし、そんなこともなしによく参入したものだ。。。基本的に企業体力があったからか?


クレーム噴出、目立つ欠航…成田発格安航空の実態



予約確認できないウェブサイト、つながらないコールセンター…。日本の国内線に格安航空会社(LCC)が就航して1年。空の旅を身近にしたのは確かだが、利用者からのクレームがいまだ絶えず、欠航も目立つ。日本の空に果たして定着するか。
■ドライな対応にクレーム急増
 昨年12月。新千歳―成田間のジェットスター・ジャパンの往復チケットをネットで購入した札幌在住の田島英子(仮名、37)は東京で1泊した後、ウェブサイト上で復路便の予約確認をしようとした。ところが、予約確認のサイト画面がうまく作動しない。コールセンターに電話してもオペレーターにつながらない。そんな状態が1時間半…。当日中に札幌に戻らなくてはならないので、予約できていなかった場合に備え、やむなく新規に予約した。
 成田空港のジェットスターのカウンターに着くと復路便は予約できていた。追加予約した便の取り消しを求めたが、係員は「予約取り消しの払い戻しはできません」と、にべもない。さらに次の説明が追い打ちをかける。「ウェブで予約確認できない場合、成田まで来て予約確認する方がけっこういらっしゃいますよ」。自分が責められているような気がしたという。
 「予約変更したいのにコールセンターに電話がつながらない」(50代男性)。「予約した便が勝手に早朝便に変更され、キャンセルを申し出たが応じてもらえない」(40代女性)――。全国の消費者センターにはLCCに関する苦情が相次いでいる。2012年の航空サービスについての苦情件数は1238件と前の年に比べ44%も増えた。
 LCCは機材をできるだけ少人数で効率的に運営し、サービスも必要最小限に抑えてコストを減らし、運賃を既存大手に比べ半分以下の格安にする。機材が少ないうえ、空港での待機時間を短くして運航するので、トラブルが発生すると欠航がでやすい。「欠航が出ても原則代替便はない」「キャンセルしても運賃が戻らない」など対応はドライだ。
 一足先にLCCが普及した海外では、格安と引き換えの不便さを利用者はある程度理解して利用しているが、大手の高いサービス水準や、時刻表通りに正確に走る交通網に慣れた日本の利用者には戸惑いが大きいようだ。
■4カ月でCEOが交代したエアアジア
 昨年、LCC市場に参入した3社のうちジェットスターは豪州、エアアジア・ジャパンはマレーシアのLCCが運営母体。本国で成功したビジネスモデルを持ち込んだものの、「本国基準」のサービスが「日本人基準」に合わないギャップに直面する。

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 ジェットスターは就航した昨年7月の利用率は85%と好調な出足だったが、繁忙期の夏を過ぎると客足が遠のき11月には65%にまで低下。12月以降は利用率を公表しなくなった。エアアジアもスタートした昨年8月は84%だった利用率が10月、11月には50%台にまで低下。リピーターが増えず、両社の目算は大きく狂った。
 エアアジアは12月、状況打開を狙って、就任からわずか4か月でトップを交代。「ウェブが使いにくいことがリピーターの増えない原因だった」――。急きょ登板した最高経営責任者(CEO)の小田切義憲の最初の仕事はウェブシステムの改良だった。エアアジアが導入したウェブ予約システムは、マレーシアの本国モデルをそのまま日本語に訳したものに近い。データの処理速度が遅いうえ、途中に英語の部分が残るなど日本人には使いにくかった。
 小田切はマレーシアのエアアジア本社からITシステム担当者を呼び、ピーチ・アビエーション、ジェットスター、エアアジアのそれぞれのウェブサイトで予約が完了するまで時間を計測してみせた。1位は断トツでピーチ、2位ジェットスター、エアアジアは最下位。「日本人のスピード感からは根本的に遅すぎる」と改良を迫った。
■LCCを悩ます「雪」
エアアジアは就航当初は高い利用率だったが…
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エアアジアは就航当初は高い利用率だったが…
 LCCはもうひとつの日本特有の事情に翻弄されている。雪だ。
 ジェットスターが国内線に参入した昨年7月から今年3月2日までに発生した欠航便数は203。航空会社の運航品質を示す重要な指標である「定時出航率」は10月は92%だったが、1月には77%に落ちた。新千歳―成田間のフライトで雪による遅延が増えたことが響いた。
 雪の少ない豪州育ちのジェットスターや東南アジア生まれのエアアジアにとって新千歳空港は鬼門。雪が降ると様々な余分な作業が発生する。機体についている雪が氷になると揚力に影響するため、出発するごとに機体から除雪材をまかなければならない。搭乗機までバスで移動して歩いてタラップを上がる乗客の動きも鈍くなる。こうした時間が積み重なり、定時出航を難しくする。

■成田空港の厳しい「門限」
 ジェットスターとエアアジアの苦戦の要因は、参入を急ぐ余り日本人の嗜好や気象条件に十分に対応しきれなかったことにある。しかし、両社が実力を出しきれないのは日本の空港インフラの問題もある。
国内LCCの主なトラブル
2012年
3月1日
ピーチ就航
3月28日ピーチ、長崎空港で脱出用装置誤作動で初の欠航便
7月3日ジェットスター・ジャパン就航。成田の混雑に巻き込まれ初日に欠航便。その後も欠航相次ぐ
8月1日エアアジア・ジャパン就航
8月12日エアアジア、沖縄―成田の最終便が制限時間内に戻れず急きょ羽田に到着地変更
10月エアアジア、ホームページ上で個人情報流出発生
11月16日ジェットスター、整備上の問題で国交省から厳重注意
13年
2月9日
ジェットスター、エンジン故障発生
 頼むから間に合ってくれ――。
8月15日、午後10時過ぎ。成田空港近くのエアアジア・ジャパン本社(現在は成田空港内に移転)は緊迫した空気に包まれていた。
 沖縄―成田の最終便が成田空港の発着制限時間内の午後11時に間に合うかどうか、瀬戸際にあった。お盆の混雑で朝から運航便は遅れがち。最終便が沖縄を出発するころには1時間10分あった余白時間をほぼ使い切っていた。3日前には制限時間に間に合わず、急きょ羽田空港に着陸した。欠航は避けたい。かといって、目的地以外での着陸を繰り返しては基本的な運航品質に関わる。社員は祈るような気持ちで最終便の軌跡を追った。
 午後10時59分55秒。残りわずか5秒で最終便は滑走路に降り立った。ほっと胸をなで下ろすエアアジアの関係者。制限時間ぎりぎりの運航は今なお続いている。
 成田空港は周辺住民への配慮から、離着陸が許されているのは午前6時~午後11時。少ない機材をフル稼働させるLCC運航には大きな制約だ。保有7機のジェットスターの就航から直近までの欠航率は2.8%。223機を保有する日本航空の昨年1年間の国内線欠航率1.4%と比べると欠航率の高さが目につく。ジェットスターの場合、天候以外の理由で欠航になったケースが全体の53%で日航は34%。時間制限に間に合わず早々に欠航を決めるケースが多いのだ。
 通常、LCCは欠航になっても原則として、他社への振替便を用意するなどの対応はない。だが、就航初日に欠航を出してしまったジェットスターはホテル宿泊代や交通費、無料券を配っている。世界のLCCの常識に照らすと異例の措置だが、それだけ欠航による利用者離れを恐れている。

1路線で安定的な黒字を出すには1日4往復分(8便)の運航が必要とされるが、エアアジアやジェットスターはせいぜい3往復(6便)分にとどまる。単純計算で4往復に比べ売り上げは25%減る。人件費にも無駄がでる。一般的な航空会社の勤務協定では、客室乗務員やパイロットなどクルーの連続勤務は国内線では2往復程度が限界とされる。1機材1日あたりクルーが2組必要になる計算だが、3往復分しか飛べないと後半のクルーは半分しか稼働できない。
■100万円の時計
ピーチは24時間利用可能な関西空港を拠点にすることで、比較的欠航便が少ない
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ピーチは24時間利用可能な関西空港を拠点にすることで、比較的欠航便が少ない
 LCC側も当初から成田の制約はわかっていたが、それでも進出を決めたのは着陸料の割引やLCC専用ターミナルなど「いろんなインセンティブを考えている」という空港側の優遇策を期待してのことだった。ところが、既存航空会社との調整などが難航し、空港側の動きは鈍い。それどころが1円単位でコスト減らしに取り組むLCCの神経を逆なでするようなこともあった。
 「時計いかがですが」――。昨年9月、成田空港の運営会社の職員がエアアジアに時計の売り込みにきた。カウンターの上部に設置する大型のデジタル時計だ。CEOの小田切は時計の金額を聞いて耳を疑った。その額100万円。コストを極限まで切り詰めるLCCが時計にそんな金額を出せるはずがない。「どこまで本気でLCCの優遇措置を考えてくれているのか…」。コスト意識のあまりの違いがこんな疑心を抱かせている。
■関西空港を拠点とするピーチは…
 集客に有利な成田空港を拠点にしながらも、苦戦するエアアジアとジェットスター。一方、関西空港を舞台にしたLCCの世界はやや異なる光景だ。
 2月のある日、関西空港のLCCターミナルに足を運んだピーチCEOの井上慎一は、自社便に利用者が列をなす光景に目を疑った。閑散期の2月にピーチでは満席便が続出している。「感覚的だが、リピーターがかなり増えている。それと『これまでLCC大丈夫かな』と遠巻きに見ていた方が利用し始めているのでは」と井上は分析する。
 全日空の社員だった08年、LCC参入の準備を指示された井上がまずこだわったのは、航空会社としての基本品質。「汚くてもうまい中華料理屋に行列ができるのと一緒で、まず安全でダイヤ通りの運航と使いやすさが最優先」と判断した井上の頭の中には、発着時間制限がある成田を拠点空港にする選択肢はなく、24時間利用可能な関西空港を選んだ。関空もLCC誘致を空港間競争の生き残り策の柱に据え、いち早く使用料の安いLCCターミナルを建設するなどピーチ支援に動いた。
 ウェブシステムを日本人が好むスピードに合わせて設計した。バーコードで簡単にチェックインできる仕組みを取り入れ、当初想定外だった60歳以上の利用客も取り込んでいる。キャビンアテンダント(CA)の制服は日本人の顔が一番きれいに見えるオレンジを加味した紫色を採用。徹底してLCCを日本流にカスタマイズした。
■6000円の「神戸牛」機内食も
ピーチは日本人の顔が一番きれいに映るという色合いの制服を採用した
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ピーチは日本人の顔が一番きれいに映るという色合いの制服を採用した
 ピーチの運航品質は安定している。昨年3月の就航から今年1月末までの平均定時出航率は83%とLCCの中では群を抜く。欠航率も大手並みの1%にとどめ、利用率も76%を確保する。安定した運航が顧客を呼び込んでいることが数字に裏付けられている。3年目で単年度営業黒字を達成できる可能性が高まっている。
 「20食限定で6000円の神戸牛ステーキを出せないかな」。井上は今、社内でこんなアイデアを出している。運賃を抑えた分だけ財布のヒモが緩むはず。目指すのは格安運賃だが、既存大手を上回る満足度のLCC。顧客の要求水準の高い日本で磨いたサービス力を武器に新しいLCCのモデルを作り上げ、本場アジアへの本格進出を狙う。
 苦戦が続いた海外発LCC組も反転攻勢に向けて動き始めた。エアアジアは旅行会社の仲介販売の比率が高い日本の事情に合わせ、販売をウェブだけに頼らず、旅行会社を活用して顧客層を広げる取り組みを開始。ジェットスターも大株主の日本航空と共同運航便を6日から実施し、日航の顧客の取り込みを狙う。両社とも中部空港への進出を決めた。制約の多い成田の依存度を下げることで、遅延や欠航を減らそうとしている。
 格安のLCCの安全性を不安視する声もまだ一部にある。安全基準は既存大手もLCCも同じで「低価格=低安全性ではない」とLCC各社は訴えるが、隙もあった。昨年3月にピーチで非常用脱出装置が飛び出すトラブルが発生。11月にはジェットスターが整備士の選任で安全管理上の問題あるとして、国土交通省から厳重注意を受けた。まずは安全に関わる対策を充実させ、利用者からの信頼を確実にすることが2年目の最優先課題だ。
=敬称略
(稲井創一、渡辺淳) 

2013年3月12日火曜日

検索エンジン発明の日本、「グーグル」生み出せなかった経営トップ 石黒不二代・ネットイヤーグループ社長




検索エンジン発明の日本、「グーグル」生み出せなかった経営トップ 石黒不二代・ネットイヤーグループ社長

 

 

 現在、経済産業省の「新事業を創造するための企業内の人材マネージメントの在り方」という委員会の委員をしている。委員会設立の背景には、日本企業のほとんどが自社の新事業創造に満足しておらず、その要因としてマーケットニーズが把握できていないこと、ビジネスモデルが組み立てられないことを挙げている事実がある。
1994年にスタンフォード大学経営大学院を修了、シリコンバレーでコンサルティング会社を起業。2000年から現職。
1994年にスタンフォード大学経営大学院を修了、シリコンバレーでコンサルティング会社を起業。2000年から現職。
 IT(情報技術)分野でも米シリコンバレーが一人勝ち状態だ。「なぜ、日本にアップルやグーグルが生まれないのか?」という議論も盛んだ。理由は平たく言うと「プロデュース力の欠如」だ。
 この「プロデュース」という言葉、カタカナになるやいなや、わかったようなわからないような、という人も多い。そこで、日本企業がプロデュース力を持つための第一歩としての発想の転換を、今回は考えてみたい。
 米アップルはシリコンバレーには珍しいハードウエア企業である。だがアップルの成功の源泉は「ユーザーエクスペリエンス(UX)」という言葉で表現される「新しい顧客の体験の創造」だ。
 経営不振に追い込まれたアップルの起死回生は携帯音楽プレーヤー「iPod(アイポッド)」から始まった。アップルがやったことは「iTunes(アイチューンズ)」という音楽販売サイトを通じてオンラインで音楽を販売し、「もうCDを店舗に買いに行かなくてもいい」「いつでも好きな音楽がすぐ手に入る」という新しい顧客体験の創造だ。だから、iPodは爆発的に売れた。
 アップルは顧客体験だけでなく音楽ソフト会社の体験も変えている。1曲99セントという破格な価格は、レコードやCDをその数倍の値段で売ってきた音楽ソフト会社にとって屈辱的だったに違いない。しかし、すでに違法ダウンロードに悩まされ続け、売上高を激減させていた各社は、新しい体験を欲していた。

 

米グーグルが発明したものは検索エンジンである。しかし、グーグルは検索エンジンというソフトを売っているわけではない。
 インターネットの普及で世界には情報があふれ、10年で情報の流通量は500倍になった。あふれる情報の中で、自分が欲している情報をすぐに手に入れたい人々に向けて、グーグルは検索エンジンを無料で提供した。その一方でインターネットをひとつのメディアに仕立て上げ、課金ではなく広告から収入を得るモデルを構築した。
 実は検索エンジンは、日本ではインターネット商用化のはるか前に発明されていた。しかし、その検索エンジンは、新聞社に売られていたそうだ。新聞社では、過去の記事を含めて検索するという需要があるからだ。
 1台数百万円の検索エンジンを大手新聞社に売ると、せいぜい売上高は1000万円だ。グーグルが検索エンジンを使って創造した新しい広告ビジネスの売上高は、いまや、年間500億ドルに達する。日本にこのプロデュース力があれば、日本にグーグルが誕生していたかもしれない。
 では、日本企業がこのプロデュース力を高めるために、何をしたらいいのだろうか? 私は、ぜひ、経営トップに発想を変えてもらいたいと思っている。
 日本企業が業績予測を考えるときには、必ず「製品×販売数」という考え方で、全体は、その積み上げとなる。ITは、すでに新しい顧客体験をつくりだす「サービス」の時代に突入している。日本企業は「モノをいくつ売るか」という発想から脱却すべきだ。
[日経産業新聞2013年3月7日付]
 この連載は変革期を迎えたデジタル社会の今を知るためのキーパーソンによる寄稿です。ツイッター日本法人代表の近藤正晃ジェームス氏、ネットイヤーグループ社長の石黒不二代氏、KDDI研究所会長の安田豊氏、NHNジャパン社長の森川亮氏、ライフネット生命副社長の岩瀬大輔氏らが持ち回りで執筆します。(週1回程度で随時掲載)

自己紹介

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東京都, Japan
h-imoto@netyear.net 暇なわけではございません。仕事の一環で収集している情報の共有です!